「エレベーターでいこう」 川辺 郁美  主婦 成田 美津恵 事務員 曽我沼 範子 ピアノ教室の教師 霞 響子   劇団「上海活劇姉妹」所属の女優 成田   それは、いつもの合唱サークルの練習日。 1場   どこかの市民センターの練習室。成田と川辺が二人でだべっている。       川辺   あたしねこないだの、観て来ましたよ。 成田   え、何? 川辺   えーと、なんでしたっけ、「なんとかの空にいつか」 成田   何それ? 川辺   ほらあ、こないだ曽我沼さんが言ってた「なんとかかんとか姉妹」の… 成田   寄席か何か行って来たの? 川辺   じゃなくて、お芝居ですよ。…待って、パンフ持って来たんだった。 成田   何これ、ぺらぺら。こんなパンフお金出して買って来たの? 川辺   ちがいますよ、もらえるんです。劇場に入るときにいろんなちらしとかと 一緒に。 成田   へえ。そうなんだ。…(パンフを読む)劇団「上海活劇姉妹」第18回公 演「カサブランカの空にいつか」 川辺   今度のって、そこの女優さんを助っ人に喚ぶんでしょ。一応勉強しとこう と思って。 成田   ああ、そっか。「上海活劇姉妹」。言ってたね、そういえば。 川辺   インパクトありますよね、その名前。「姉妹」しか憶えてなかったけど。 成田   どうだった? 川辺   うーん、ああいうの観たの初めてだったから。 成田   つまんなかったの。 川辺   そんなことないですよ、結構笑えたし、泣けたし、お客さんもいっぱい入 ってて…、人気のある劇団みたいでしたよ。 成田   どんな話? 川辺   それがねえ、説明できないんですよ。何て言うんでしょ、こう、話がいろ いろ交錯してて…、朝の大統領とか夜の世界の象徴とかよくわかんない登場人物ばっ か出てくるんですよね。あっ、思い出した。舞台はお豆腐屋さんなんですよ。 成田   豆腐屋? 川辺   それで、豆乳とにがりの混ざり具合でその日の大統領の形が決まるとか… 成田   大統領、豆腐で出来てるの? 川辺   違うんですよ、お豆腐の水槽とロンバルディアの世界が繋がってるんです。 成田   全然話が見えて来ない。 川辺   あたしもよくわかんないんですけどね。 成田   あんたどこ観て笑えて泣けたの。 川辺   あんまり憶えてないんですよね。テーマも一体なんだったのか… 成田   …アングラとかいうやつかな。 川辺   そうなんですか? 成田   知らない、あたし観てないから。でも小劇場のお芝居といえば、変なメイ クして訳わかんないこと口走ってるっていうイメージはあるね。 川辺   そういうのアングラっていうんだ。 成田   よく知らないけど。 川辺   あたしたちもそういうのやるんでしょうか。 成田   面白かったんでしょ。 川辺   でも、やりたいかどうかは別です。 成田   あたしは合唱サークルのままでいいって言ったのになあ。 川辺   今さらそんなこと言わないで下さいよ。最初にマンネリでつまんないって 言ったのは美津恵さんじゃないですか。              前触れなしにドアが開いて、霞が入ってくる。おそるおそる会釈し合う3人。      霞、その辺をキョロキョロ見回して、部屋の隅っこに落ち着く。 川辺   (小声で)誰ですか? 成田   (首をふる) 川辺   …曽我沼さん、遅いですね。 成田   ほかのメンバーも遅い。もう8時まわってるよ。 川辺   あ、ほんとだ。どうしたんだろ。 成田   ひょっとして今日中止かなー。 川辺   中止ならなんかしら連絡ありますよ。 成田   曽我沼にかけてみる。(PHSをとりだす)…あ、もしもし?美津恵です。 今どこ?…あ、こっち向かってんのね。あのさ、何かみんなほとんど来ないんだけど、 今日何?中止? 曽我沼  (ピッチで話しながら入ってくる)中止じゃないんだけどさ… 川辺   わ、びっくりした。 成田   …お疲れ、で、何?(そのままピッチで話す) 曽我沼  (一瞬そのまま話そうとする)切っていい? 成田   いいよ。 曽我沼  大変なことになった。 川辺   どうしたんですか? 曽我沼  みいんな休会したいんだって。 成田   みんなって? 曽我沼  ゆきちゃん、恵子さん、鵜飼さん、大沼さん、かんちゃん、佐藤さん、和 久井さん、細川さん、津田島さん、みっちゃん、良子ちゃん… 川辺   ほとんどの人じゃないですか! 曽我沼  うん、残ってる人言った方が早いよ。 成田   結局何人? 曽我沼  あたしたちを含めて、5人。 川辺   あと二人は? 曽我沼  ええとね、淳ちゃんと木村さん。でもね、木村さんはちょっと今日は休ま せてくれって。 川辺   何で? 曽我沼  ちょっと具合が悪いからって。 成田   …だめだな、こりゃ。 川辺   美津恵さん! 成田   淳ちゃんも時間の問題だね。 川辺   そんなこと言わないで下さいよ。 霞    (いつの間にかみんなの後ろに立っている。) 曽我沼  あ、霞さん、すみません。せっかく来て頂いたのに、初っ端からごたごた しちゃって…。 成田   えーと、こちらは? 曽我沼  前に話した劇団の女優さん。霞響子さん。 川辺   ええ? 霞    よろしくお願いします。 成田   どうも、成田です。 川辺   川辺です。…よろしくお願いします。(じーっとみる。) 曽我沼  今日、どうしましょう。ちょっとした顔合わせのつもりだったんですけど。 霞    わたしの方はお気になさらないで下さい。あの、お話し合いなさるんでし たら、わたしはずしますから。 曽我沼  すみません、ほんとに。 霞    いいえ。 成田   で、どうしようか。 曽我沼  どうしようって…(ピッチが鳴り出す)ちょっと待って。…はい、曽我沼。 あ、淳ちゃん?(そのまま隅っこに行って話し出す。)        川辺、パンフを取り出して霞に近付く。 川辺   あの…。 霞    はい。 川辺   あたし、こないだの公演、観させて頂いたんですよ。 霞    そうなんですか。ありがとうございます。 川辺   いえ。すごいですね、ああいう生のお芝居って。 霞    そうですか? 川辺   あたし初めて観たんですけど、もう迫力に圧倒されちゃって。それに皆さ ん、すごい量のセリフ。どうやって覚えるんですか? 霞    人それぞれですけど、そんなに難しいことじゃありませんよ。 川辺   ほんとですか?でもあたし物覚え悪くって。 霞    私もあんまり記憶力には自信ある方じゃないですけど、稽古しているうち に自然に入ってくるんです。 川辺   自然に…。 霞    役の性格がわかってくれば、セリフも出てくるようになりますよ。 川辺   わあ、女優さんぽい。 成田   ぽいって、女優さんでしょ。 川辺   そうでした。 霞    あの… 川辺   はい。 霞    どうでした? 川辺   え? 霞    うちの公演。 川辺   …面白かったぁ。 霞    良かったぁ。 川辺   笑えて、泣けて、それに…可笑しかったし、…ジーンときちゃいました。 霞    分かり辛くありませんでした? 川辺   そ、そんなことなかったですよ。 霞    本当に?嬉しい。今回は特にテーマが深くて、脚本も時間かかったから。 川辺   テーマをこう、…言葉にするのなれてないからうまく言えませんけど、と にかくこう…何か胸に届くものがありました。 霞    ほら、今回、もろくてそれで真っ白な世界を豆腐というメタファーに投影 してそれをさらにひっくり返したでしょ。 川辺   ええ。 霞    おまけにそれが主人公の精神世界とシンクロし分離する過程を音の断片と 動きだけで表現しようとしたから… 川辺   もう、本当に… 成田   複雑なんですね、お芝居って。 霞    でも、楽しいんですよ。 成田   霞さんも、出てらしたんですか、その公演。 霞    ええ。 川辺   あの…、何役で? 成田   あんた、観たんでしょ。わかんないの? 川辺   すみません、どこに出てました? 霞    夜の世界の象徴役です。 川辺   ええ?あの役?ムチ持ってこーんなきわどい服着てた? 霞    そうです。 成田   へえ、イメージ浮かばないですねえ。 川辺   全然感じ違いますよ。 霞    それは、お芝居ですから。 成田   そういうもんですか。 川辺   あれ、でもパンフでは夜の世界の象徴って「高橋典子」ってなってるんで すけど…。 霞    ああ、それは芸名なんです。 成田   芸名?高橋が?霞のままで十分役者っぽいのに。 霞    わたし自分の名前、そんなに好きじゃないんです。 成田   どうして?…“かすみ”は雨かんむり?“きょうこ”は? 霞    「響く子」と書きます。 成田   きれいな名前じゃないですか。 霞    字面が妙に派手で。わたし自身、あまり目立つのは…。 川辺   舞台じゃめっちゃくちゃ目立ってましたよ。 霞    だから、別な人間ということにしてあるんです。 川辺   はあ。そうなんですか。 成田   …面白い人だね。 川辺   美津恵さん。 成田   だって、お芝居やってる人って、基本的に目立ちたがりなんだろうと思っ てたんだもん。 川辺   失礼ですよ。すみません、霞さん。 霞    いえ…。でも、多いんですよ結構。私みたいな役者って。 成田   目立つのが苦手な? 霞    人見知りがひどかったり、お芝居してること、身の回りの人に隠してたり。 川辺   そうなんですか? 霞    もちろん、目立つのが大好きっていう人もいますけど。 成田   霞さんは何でお芝居を…     後ろで話していた曽我沼の声が大きくなる。 曽我沼  淳ちゃんの言うことも分かるけど、こっちのことも考えてよ。淳ちゃんま で抜けたら…、…、…、うん、…、うん、…そうだね。…、うん、…わかった。それ じゃ。おやすみ。(切る) 成田   だめか。 曽我沼  だめだ。 川辺   どうするんですか。 曽我沼  だってさ、淳ちゃん、絵画サークルに正式に入会しちゃったって言うんだ もん。 川辺   それじゃ、休会じゃなくて辞めちゃうってこと? 曽我沼  掛け持ちしてくれるかもしれないけど、淳ちゃんそんなに器用な人じゃな いから…。 成田   ああ、そう言えば最近うちから絵画に流れてる人多いんだよね。 川辺   絵画サークルの陰謀ですか!? 成田   なにそれ。 曽我沼  どうしよう、もう裏方さん達は頼んであるのに。 成田   まあ、謝って、断るしかないね。 川辺   ええ?断るって… 成田   こうなっちゃったら、もう中止でしょ。 曽我沼  ああ待ってよ、いま考えてるんだから。 成田   残り3人じゃ考えたってしょうがないよ。 川辺   そんなあ。せっかく面白くなりそうなのに。 成田   だってうちのサークルの活動なのに、3人しか残んなかったんだよ。 霞    あの、そもそも、何でお芝居をすることになったんですか? 曽我沼  その、いつもいつも同じ活動じゃみんな飽きちゃうから、たまには変わっ たことをしてみようってことになったんです。それでみんなに何がいいかアンケート をとってみたらお芝居が一番多かったので… 霞    それでなんで皆さんやめちゃうんですか? 成田   要するにわらかしで書いた人がほとんどだったんだね。まさかこれに決ま るとは思ってなかったって言う…。 川辺   私は本気で書きましたよ。 成田   あんたくらいだったんじゃないかなあ。 川辺   じゃ、美津恵さんはなんて書いたんですか? 成田   ボディビル。 川辺   やですよ。 成田   マンネリにさえならなきゃ何でもいいと思ったの、私は。 霞    なるほど。 成田   でもね、これじゃだめだよ。メンバーの大半が出ないんじゃ、サークルの 意味がない。 曽我沼  そうなんだよねえ。 川辺   でも、せっかく霞さんにも来て頂いたのに。 曽我沼  そうなんだよねえ。 成田   やめるんなら今のうちだよ。幸い宣伝とかチケットとか、まだなんにも動 いてないし。 曽我沼  うーん。 川辺   あたしもう友だちみんなに、今度お芝居やるんだって言いふらしちゃいま したよ。 成田   そんなのは自分で何とかしなさいよ。 川辺   えー。 霞    …あのう、スタッフはいるんですよね。 曽我沼  ええ、お宅の劇団の方に頼んではいたんですが…。 霞    じゃあ、大丈夫ですよ。役者が3人でもお芝居は出来ます。 川辺   3人だけで?そんなお芝居あるんですか? 霞    もちろんありますよ。 曽我沼  でも、難しくないですか? 川辺   難しいですよ。あたしたち全くの素人なんだから。 霞    そんなことありませんよ。何度もコーラスの舞台に立ってるじゃないですか。 曽我沼  でも、お芝居の経験は…。 霞    皆さん、舞台の緊張に少しは慣れてるはずでしょう。 成田   それだけで芝居ができるっていうんですか? 霞    そうじゃありませんけど、経験はきっと役立ちます。      考え込む3人。 川辺   …霞さんも、出てくれれば…。 霞    え? 曽我沼  そうか、それなら4人だし。 川辺   ね。 成田   何で4人ならいいの? 曽我沼  一人でも多い方が心強いじゃない。まして、霞さんはちゃんとした女優さ んだし。 霞    待って下さい、私まで出てしまったら演出をする人間がいません。 川辺   演出しながら役者もやればいいじゃないですか。 曽我沼  そういうのってダメなんですか? 霞    ダメなことはありませんけど… 川辺   じゃ、きまり。やりましょうよ。ね。 成田   ねえ、問題がずれてる気がする。 川辺   え?何ですか? 成田   だから、いくらやる人数が増えても、うちのメンバーじゃなきゃ意味がな いってことでしょ。 川辺   あ、そうか。 曽我沼  あたしも何となくそうじゃないかと思った。 成田   そがぬま。 川辺   木村さん!まだ木村さんが残ってますよ。 曽我沼のPHSが鳴り出す。 成田   鳴ってるよ。 曽我沼  はい、曽我沼。はい、はい…あ、そうなんですか。はい分かりました。来 週は出られそうですか? 川辺   木村さん!? 曽我沼  はい…良かった。じゃあお大事に。おやすみなさい。(切る) 川辺   なんて? 曽我沼  突き指しちゃったから、明日のお稽古お休みしたいって。 川辺   へ? 曽我沼  うちの教室の生徒。(ピアノをひくジェスチャー) 川辺   なんだ。(がっくり) 曽我沼  え?なに? 成田   (川辺に)どっちみち同じことだよ、1人増えたぐらいじゃ。 霞    差し出がましいようですが…。 成田   …はい。 霞    動き始めれば、後から着いてくることもありますよ。 成田   は。 霞    今は、きっと皆さん気後れしてるんですよ。…あの、お芝居ってほんとに 面白いんです。わたしたちが、とりあえず動き始めて楽しくやってたら、戻ってきて くれる人もいるんじゃないでしょうか。 川辺   霞さん!いいこと言いますね。 成田   そんなのんきな…。動き始めたら引き返せなくなるのに、それで誰も戻っ て来なかったらどうするの。 川辺   またそんなこと言って、美津恵さんマイナス思考なんだから。 成田   あたしは現実を言ってるんだよ。ちょっと曽我沼、何とか言ってやってよ。 曽我沼  そうだね、動き始めれば何とかなるかもしれないよ。 成田   曽我沼!? 曽我沼  何でも初めてのことって腰が引けるもんだし。 川辺   そうですよね、きっとみんなそのうち戻って来てくれますよね。 曽我沼  美津恵ねえ、ちょっと考え方後ろ向きかも。 成田   ……。 川辺   とにかくやってみましょうよ。 曽我沼  うん。なんとかなるって。 成田   (独白)最早、マトモな神経を持った人間はわたししかいないのだと悟っ た。なんて責任感の強いわたし。「誰かがハドメにならなければ」そう思った瞬間、 わたしの参加が決まった。 霞    いっしょに、やりましょう。 成田   …はい。      暗転 2場   溶明。紙の束を抱えた辻(脚本家)が現れる。自分の状況がよく分からな いようにキョロキョロする。電話が鳴る。辻、出る。 辻    はい、辻です。    霞    (以下声のみ)あ、霞です。どうもお久しぶりですー。今ちょっといい? 辻    何だ響子ちゃん?どうしたの?あ、ごめんね、こないだの行けなくて。丁 度うちの脚本の締め切りと重なっちゃってさあ。 霞    ううん、いいのいいの。 辻    どうだった、お客さん入った? 霞    うーん、前回よりちょっと減ったかなあ。でもまあ、結構入った方かも。 辻    そっか。 霞    あのねえ辻さん、いまわたし、脚本探してるんですよ。メインキャスト4 人ぐらいの。 辻    え?何、次の「上活」(「しゃんかつ」と読んで下さい。)で使うの? 霞    ううん、違うの。今わたし、知り合いに頼まれて素人さんのお芝居を手伝 うことになったのね。それで、融通のきく4人芝居見つけなきゃなんなくて… 辻    融通きくって? 霞    今のところ役者は4人なんだけど、これから増える予定なの。 辻    なにそれ? 霞    うーん、説明すると長くなるんだけどさあ。      後ろから談笑しながら入ってくる成田、川辺、曽我沼。辻と目が合いぴた りと止まる。お互いにおそるおそる会釈する4人。 辻    …どうも、辻です。 曽我沼  曽我沼です。…あの、どちら様? 辻    ですから辻です。 曽我沼  ……。 成田   えーと、何か、御用でしょうか? 辻    はあ。霞の響子ちゃんから連絡がありまして、脚本を持って来てほしいと … 川辺   脚本!? 曽我沼  ああ、じゃあ霞さんの劇団の方? 辻    いいえ、わたしは霞ちゃんとは別の劇団で「空中庭園」というところの脚 本を書いてまして。 川辺   脚本家さんなんですね。 辻    はあ、まあ。      霞、遅れて入ってくる。 霞    おはようございます。 川辺   おは…? 霞    すみません、ちょっと遅れました。 辻    響子ちゃん!おはようございます。 霞    あー、おはよう辻さん。どうも、お手数掛けます。 辻    いいええ。 川辺   ほんとに夜でも「おはようございます」っていうんですね。 成田   うん、話にはきいてたけど本物は初めて見た。 霞    どう?よさそうなの、ありました? 辻    うーん、どうでしょ。とりあえず4つほど見繕って来ました。  霞    ありがとー!さすが辻さん。 曽我沼  すみません、脚本、手配して下さったんですね。 霞    いえ、既製じゃ融通きくの探すの大変ですから。辻さん、いつも少人数の 面白いお芝居書いてる方ですし、手っ取り早いかと思いまして。 曽我沼  助かります。(辻に)わざわざどうもありがとうございます。 辻    いえ、上活さんにはいつもお世話になってるので。 成田   しゃんかつ? 霞    上海活劇姉妹を縮めて、「しゃんかつ」っていうんです。 成田   はあ、そうなんですか。 辻    うちの劇団は極く少人数の劇団なものですから、スタッフ関係はみんな上 活さんに頼りっきりなんです。 霞    そのうち合併しようかって言ってるんですよ。 辻    吸収合併でしょ。 霞    そんなことしませんよー。 成田   すごい、ノリについて行けない。 川辺   霞さん、別人みたい。 成田   そしてなぜか早口だ。 辻    あ、それでどうしましょう。一応こんだけ持って来たんですけど…(脚本 をばさばさ取り出す。) 曽我沼  どうもすみません。ちょっと、何してんの二人とも。 成田   ああ、はいはいごめんね。 川辺   見ていいですか? 辻    どうぞ。 霞    辻さん、ざっと説明してもらえるとありがたいんだけど。 辻    あ、そうだね。えーと… 川辺   「バック・トゥー・ザ・イエロー・ブリック・ロード」 辻    それは、「オズの魔法使い」がベースになってまして、ドロシー、かかし、 ライオン、きこりがそれぞれその後どうなったかという話です。 川辺   へえ。どうなるんですか? 辻    ドロシーは、元の現実の世界に馴染めずおばさんのうちを追い出され、路 頭に迷ったあげく娼婦となって街をさまよい、エメラルドの都の政治家になったかか しはクーデターであっさり失脚、ライオンは図に乗り過ぎてオズの世界に一大暗黒街 をつくり、きこりはそこでヒットマンとして暗躍するという…。 成田   ずいぶんダークなお話なんですね。 辻    そして、お互い変わり果てた姿で再会する4人。希望へと続いていたあの 「黄色いレンガの道」は、逆を辿れば破滅へと続いているに違いない。すべての希望 を失った4人は自らのカタストロフィーを求めてレンガの道を歩き出す…という結末 です。 成田   …なんだかよくわかんないけど、とにかくハッピーエンドじゃなさそうで すね。 辻    まあ、最後はみんな死んじゃうから、どっちかっていうとバッドエンドで す。 霞    どうですか? 曽我沼  うーん…、まあ他のも見てみないと。 成田   あたし、ハッピーエンドの方がいい。 川辺   そうですよね。暗いよりは明るい方がいいですよね。 辻    そうですか。それじゃこれかな。 霞    「イワンもバカ」?あ、これ3年ぐらい前にやった… 辻    そう。憶えてた? 霞    もちろんですよ。バカが4人出てくる話ですよね。 成田   えっ。 辻    どうかしました? 成田   何だか救いがなさそうなお話ですね。 霞    でも、面白かったですよ。きめ台詞があるんですよね。 辻    そうそう、「わたしたちだけがバカじゃない」 霞    「イワンだってバカじゃないか」 3人   ……。 霞    あれ、だめですか? 成田   だって、バカしか出て来ないんでしょ。 霞    バカっていってもいろいろ出てくるんですよ。バカ正直でしょ、バカぢか らでしょ、バカ食いにバカ笑い… 成田   いや、種類がありゃいいってもんじゃないでしょ。 霞    だめですか? 成田   どうせなら知的な方がいいです。 曽我沼  わたしもそういうのはちょっと…。 川辺   もっとこう、楽しくて、スマートで、明るくて、ドキドキするような。 成田   バカじゃなく。 霞    そうですか…。 辻    まあ、みなさん初心者ですしね。確かにこういうはじけた系のは辛いです よね。 曽我沼  これは、どういうお話ですか?「椿の花の落つる時」 辻    あ、それは知的ですよ。時代劇で4人の武士の話なんです。幕末の動乱期 が舞台で、ある藩の4人の幼馴染みの家臣のうち2人は脱藩して攘夷運動と討幕運動 に参加するんです。で、あとの2人は藩に残り最後まで佐幕を貫く者と、武士の身分 を捨て農民として生きる道を選ぶ者。それぞれの人生を同時進行で描いた話です。 川辺   うーん、重そう。 辻    ドキドキする展開ですよ。日本史上もっともスリルに富んだ時期だし。 川辺   あたし歴史苦手なんです。 辻    ストーリー自体は難しくありませんよ。男の友情、愛する者たちとの別れ、 涙あり、笑いあり。木の葉のように歴史に翻弄される4人。そして最後は、どの人 生を選んだ人も明治の世を見ることなく命を落とす。 成田   やっぱりみんな死んじゃうんですね。 辻    あ、暗いですか。 曽我沼  これ登場人物、全員男性ですね。 霞    あ、そうですね。辻さん何でこんなの持って来たの? 辻    だって霞ちゃん、女の人しかいないなんて教えてくれなかったじゃない。 霞    そうでした。 曽我沼  全員男装しようか。宝塚みたいに。 成田   曽我沼気に入ったの? 曽我沼  ううん別に。やるんならそうなるかと思って。 川辺   ええー、あたしちょんまげのカツラかぶるのなんてやですよ。 辻    どんなのならいいんですか。 川辺   だから、明るく、楽しく、知的で… 成田   現代劇の方がいいかな。 川辺   そうですね。あ、かっこいい女の人が出てくるやつ。女医なんていいなあ。 曽我沼  いいねえ。じゃ、あたしはトラック運転手。 成田   え、何で? 曽我沼  かっこいいじゃない。なりたかったんだ、トラック運転手。 成田   そいじゃあたしは、漫画家。 曽我沼  ね、そんなのありません? 辻    ありません。どんな話ですか、女医とトラック運転手と漫画家が出てくる 話って。 霞    辻さん、落ち着いて。 川辺   でも、あったらかなり意外性のあるお芝居になりそうですよね。 辻    書けませんそんなの。 霞    辻さん。 成田   おこらした? 川辺   みたいですよ。 曽我沼  みんな好き勝手言うから。 成田   そがぬま。 霞    確か辻さん、4つ持って来てくれたんですよね。あとひとつは? 辻    ああ、…あれはあまりお勧めしません。テーマも軽いし、ありきたりだし。 霞    またあ。 辻    ほんとほんと。 霞    じゃなんで持って来たんですか 辻    単に数稼ごうと思って。この3本のうちのどれかになると思ってたんだもん。 霞    …でも、見るだけ見てみたいですよ。ね。(3人に) 3人   (とりあえず、うなづく。) 辻    …あれは我ながら失敗作の域で。やっぱりあまりお勧めできませんよ。 川辺   でも一応、ききたいです。 成田   せっかくですから、教えて下さいよ。 霞    ほら、みなさんこう言ってるし。 辻    そうですか? 曽我沼  お願いします。 辻    えーとですね、一応現代劇なんですけど。 川辺   あるじゃないですか、現代劇。 辻    でも、女医もトラック運転手も出て来ませんからね。 川辺   はい。 霞    (脚本を手にとる)これですよね。「エレベーター・パニック」 辻    デパートのエレベーターに、買い物客4人が閉じ込められる話なんですよ。 成田   はあ。 辻    ほらね、ありきたりなかんじでしょ? 成田   いや、それだけじゃわからないです。 曽我沼  別に気に入らないんじゃありませんよ。 辻    はあ。じゃ、続けますよ。 曽我沼  どうぞ。 辻    外との連絡が全く取れなくて、助けが来る様子もなくて、ひょっとしてこ のエレベーターが止まったことすら誰も気付いてないんじゃないか。そんな状態で密 室にいるうち、一緒に閉じ込められた者どうしだんだん打ち解けて来て、話に花が咲 き始めるんです。そしてそこにいる全員が同じ誕生日だということに気がつくんです よ。 川辺   なんか… 辻    な、なんか、何ですか?やっぱりつまんないですか? 川辺   なんか、面白そうじゃないですか!ねえ。 曽我沼  どうして失敗作なんですか。 辻    いや、うちの公演でやった時、あんまりウケが良くなかったから…。お、 面白いですか? 川辺   エレベーターに閉じ込められた人の誕生日がみんな一緒なんて、何だか、 何だか「世にも奇妙な物語」みたいですよ。  曽我沼  うんうん、そんな感じ。あたしそういうの好きなんですよ。ね、美津恵も 好きでしょ。 成田   うん、まあまあかな。 川辺   これ、この先どうなるんですか? 辻    …みなさん初めて食い付きましたね。わたしなんだか嬉しいですよ。 霞    辻さん、持って来た甲斐あったじゃない。 辻    うん…、でも納得いってる作品じゃないだけに何か複雑。 川辺   ね、どうなるんですか、それから。 辻    えーと、その後は、みんなどんどん話していくうちに、お互いのこれまで の人生にも類似点が多いことも気付いてくるんですよ。そうしてだんだん、自分達が 同じ日の同じ時間に同じデパートの同じこのエレベーターに乗ったことには、何かは かりしれない何者かの力が働いていて、更にこのことには意味があるに違いないって 話になるんですよ…      辻の説明のセリフとともに音響、照明ともにF.O. 再び、電話の音が鳴り響く。辻が一人浮かび上がる。 辻    はい、辻です。 霞    (以下、声のみ)もしもし霞です。今日はどうもありがとうございました。 辻    あ、どうも。霞ちゃんもお疲れ。 霞    いいえ、ほんと助かりました。 辻    どう?結局どうなった? 霞    あの後結構話し合ったんですけど、まあ、結局は全員一致で「エレベータ ー」に決まりました。 辻    はあ、やっぱりそうなんだ。 霞    なに?…何か不都合ありました? 辻    いや、ないけどさ。 霞    どうしたんですか。 辻    ほんとにあれでいいの? 霞    何で?みなさん、喜んでたのみたでしょ。 辻    あの時はわたしも舞い上がっちゃったけど、後で冷静になってみたら、何 だか間違っていたような気がして… 霞    そんなこと無いですよ。もっと自信持って、辻さん。 辻    でもさ、あれほんとにウケ悪かったんだよ。劇評もばんばん酷いこと書か れちゃって。 霞    そういうときもありますよ。 辻    まあね。 霞    大丈夫ですよ。悪いようにはしませんから。 辻    え? 霞    いや、これからキャストが増えるでしょ。だからあの脚本、少々手直しす ることになると思うんですけど。 辻    ああ。それはかまわないよ。 霞    なるべく原型からかけ離れないようにやりますね。 辻    うん。まあ、がんばって。 霞    パンフの脚本家のとこに、ばっちり辻さんの名前いれますからね。 辻    あ。(悲痛) 霞    なに? 辻    スペシャル・サンクスにしといて。      暗転 3場   市民センターの練習室。ぼんやりと川辺だけが浮かび上がる。 川辺   「私は泳ぐ夢を見る。夢の始めから終わりまで私は泳いでいる。いつまで も、そしていつまでも。ずっと泳いでいるのに私はどこにも辿り着かない。目指すと ころも見つからない。北か。南か。いま光ってるのは太陽なのか月なのか。何も分か らない。そしてそれらのことが何一つ恐くない。ただ、何も恐くない自分のからだを 不気味に思うだけ。また泳ぐ。永遠に、そしてもうひと泳ぎ。」   明るくなり、周りに成田、曽我沼、霞が現れる。 霞    はい、結構です。川辺さん、ちゃんと憶えられてるじゃないですか。 川辺   頑張りました。小学校の時の詩の暗唱以来ですよ、こんなに言葉憶えたの。 成田   容量いっぱいで、他のセリフはいんなくない? 川辺   ひどい、美津恵さん。 霞    大丈夫ですよ、焦らずゆっくりやりましょうね。まだ稽古始めて1週間な んですから。 川辺   はい。 曽我沼  張り切ってるねー、郁美ちゃん。 川辺   だって、あたしなんかただうちにいるだけで、日中他にやることないんで すもん。 霞    さて、基礎練習始めましょうか。 成田   はいはい、始めましょ。 曽我沼  ここんとこ、まず郁美ちゃんの憶えたセリフきくのが恒例になっちゃった ね。      霞、成田、曽我沼、基礎練の準備に入る。動かない川辺。 川辺   あのー。 霞    はい? 川辺   ダメを下さい。 霞    え? 川辺   ダメだしっていうんですよね。どこを直せばいいとか、悪いとこを指摘し てもらう…。 霞    ええ、ええ。でも、まだそんなにきっちりきめる段階じゃないですから。 川辺   でも、せっかくやったんだから、ちゃんと自分の物にしていきたいんです。 成田   燃えている。 曽我沼  コーラスの時は見たことない顔だね。 霞    ええと、じゃあ、そうですねえ… 川辺   さっきの、なんかあたしバカみたいじゃないですか?一人でこんな手足バ タバタさせて。 霞    そんなことないですよ。ただもうちょっとペース落とせば。 川辺   そうですか?それとあたしどこを泳いでいるのか… 霞    別にどこでもいいですけど。 川辺   いいんですか?どこでも。 霞    ええ、これはエレベーターに永遠に閉じ込められるかもしれないと思う客 Aの心象風景を具体化したものですから、演者が海と思えば海ですし、川と思えば川 になるんです。 成田   へえ。じゃ、川辺だから川にしといたら? 川辺   でもずっと泳いでるんだから海じゃないですか? 曽我沼  広いんなら中国の黄河とか。 霞    そのシーンを思い浮かべて、自分ならこの立場でどこを泳ぐか考えるんです。 成田   エレベーターに閉じ込められて泳ぎたい場所ねえ。 川辺   海にします。ね、曽我沼さん、大道具リストに海の背景って足しておいて くれますか。 霞    背景? 川辺   このままじゃどこだか分からないでしょ。 霞    どこでもいいんですよ。 川辺   だから海にしたんじゃないですか。 霞    …。 曽我沼  海の背景と川の背景ってどう違うの? 成田   松島みたいなの書いておけばいいんじゃない? 川辺   でも目指すところが見えないんですよ。島とか描いちゃったらダメですよ。 曽我沼  んー。あたしこのへん出番ないから海女さんにでもなって出ましょうか。 霞    ちょっと…あの… 川辺   何ですか? 霞    背景をつけてしまうと、シーンが限定されてしまうんです。 川辺   限定されちゃいけないんですか? 霞    この他にも、いろんな心象風景を表現するシーンがありますよね。その度 に背景をつけてられないでしょう。 曽我沼  え?つけないんですか? 霞    それじゃ何のお芝居か分からなくなってしまいます。あくまで本筋はエレ ベーターの中なんです。 川辺   そういうものなんですか? 霞    そういうものなんです。 川辺   うーん、じゃ、どっちともとれる背景にして、セリフで説明しませんか。     「私は海で泳ぐ夢を見る。」 成田   あ、なるほどね。 霞    いや元のままでも… 成田   試してみてもいいんじゃいですか。 川辺   「私は海で泳ぐ夢を見る。… 曽我沼  海だとクロールは続かないよ。 川辺   じゃあ、平泳ぎにしてみます。      川辺、平泳ぎに変える。 川辺   …夢の始めから終わりまで。ずっと海で泳いでいる。水がしょっぱいので 海と分かる。海女さんもいるし。      曽我沼、後ろを泳ぎ去る。 川辺   いつまでもそしていつまでも。ずっと泳いでいるのに私はどこにも辿り着 かない。目指すところも見つからない。北か。南か。いま光ってるのは太陽なのか月 なのか。」 成田   このセリフも変だよね、いくらバカでも太陽か月かぐらい… 霞    ちょ、ちょっと待って下さい。 曽我沼  どうしたんですか? 霞    あの、あの、やっぱり、今はこういうことを追求する時ではないと思うん です。まだ基礎もきっちりやってないわけですし。 成田   でも、セリフを変えるんなら早い方が後々困らないんじゃないですか? 霞    確かに、そうなんですけど、まだ立ち稽古にも入ってませんし、そんなに 焦らなくても大丈夫です。 成田   ほんとかなあ。 霞    ほんとです。まだ本番までだいぶ時間もあるんですから。 川辺   でもわたし、早く憶えてたくさん練習したいんです。セリフを変えるんな らできるだけ早くして下さい。 霞    …わかりました。なるべくはやく。それじゃ、基礎練習始めましょう。      携帯の着メロが鳴り出す。 成田   またあんたじゃないの? 曽我沼  こんな着メロもってない。 霞    あ、わたしでした。すみません、先に始めてて下さい。ちょっと失礼します。         霞、練習室を出ていく。 曽我沼  何だかこのところ充実してるよね、うちの活動。 成田   そう? 川辺   あたしもそう思ってました。いいですよね、物を作ってるって感じがして。 もう、お稽古が毎回楽しみなんですよ。 成田   今までのお稽古はつまんなかったんだ。 川辺   そんなことないですけど、やっぱり、マンネリだったかもしれませんね。 前は週3回なんて言われたらちょっときつかったけど、これなら毎日でも平気です。 曽我沼  本番近くなったら毎日お稽古してほしいって霞さん言ってたよ。 川辺   ほんとですか? 成田   あんた人が変わったみたいだね。 川辺   だってほんとに面白いじゃないですか。美津恵さんそうじゃないの? 成田   いや、まあ確かに、つまらないわけじゃないけどね。 曽我沼  そろそろ他の皆を呼び戻しにかかってもいい頃かな。 成田   曽我沼、もうそんなこと考えてんの? 曽我沼  だってもともとそういうつもりで動き始めたんじゃない。はやめに皆に楽 しさをアピールしとこうよ。       川辺   あっ、あたしさっきね、廊下で淳ちゃん達とすれ違ったんですよ。 成田   へえ、絵画も今週はここで活動するんだ。 川辺   掲示板見たらね、しばらくは使うみたいでした。 曽我沼  何か言った? 川辺   淳ちゃんに?…特に何も。 曽我沼  だめだよ、楽しさをアピールしなきゃ。 川辺   そうですね、今度会ったらアッピールしときます。 成田   戻ってくるかな。 川辺   気になってはいると思いますよ。こっちチラチラ見てたし。 曽我沼  うんうん、脈はあるかもね。 成田   脚本読んでもらったら? 川辺   そんなストレートな。からめ手から行くのがいいんじゃないですか。そう だ、脚本、廊下に点々とまいときましょうか。1枚1枚拾っていくとこの部屋につく ように。 成田   淳ちゃんはハトか。 曽我沼  いい手かもしれない。 成田   そがぬま。      練習室の3人、柔軟体操などをしながら雑談を続ける。      一方、廊下の霞。携帯で話している。 霞    …うん、あ、それじゃ次の公演はあたしはサブにまわっていいわけね。よ かった。ちょっと最近調子が出なくって…。うん、それに今これもあるでしょ。…う ん。…そんなことないけどさ、とりあえずね。…うん、それじゃ、そういうことで。 うん、じゃあね。      霞、電話を切り、ため息をつく。      隅っこに、不審な人陰(淳ちゃん)がある。 淳ちゃん あのう…(小さい声) 霞    (気付かずそのまま部屋に戻ろうとする) 淳ちゃん ああ、待って下さい…(ちょっとだけ大きい声) 霞    ? 淳ちゃん 待って下さい。 霞    あ、わたし、ですか? 淳ちゃん (うなづく)あの、劇団の方ですよね? 霞    は? 淳ちゃん 合唱サークルに助っ人にいらしてる、劇団の方ですよね? 霞    はい、そうですけど。 淳ちゃん どんな、様子でしょうか。 霞    合唱サークルのみなさんですか? 淳ちゃん はい。実はわたし、今回の公演に参加するの、辞退してしまった者なんで す。でも、やっぱり気になって…。 霞    ああ…。 淳ちゃん みなさん、困ってらっしゃいませんか? 霞    いえ、楽しそうですよ。 淳ちゃん …そ、そうなんですか…。 霞    (しまった)で、でもみなさん、自分達が楽しくやってる姿を見て他の方 々が戻って来てくれればなあ、と。 淳ちゃん (ぱあああ)そうなんですか? 霞    はい…。あのう、よろしければ一度、稽古を御覧になりませんか? 淳ちゃん お邪魔じゃないでしょうか? 霞    いいえ。みなさん、大歓迎ですよ。 淳ちゃん …それじゃあ、ちょっとだけ。      暗転。すぐ明ける。      淳ちゃんを連れて練習室に帰った霞がいる。 川辺   あ、ハト。 霞    は? 成田   バカ、何言ってんの。 曽我沼  淳ちゃん! 淳ちゃん ど、どうもみなさん、御無沙汰してます。 成田   御無沙汰っても2週間かそこらじゃない。 淳ちゃん そうですね…。(うつむいて黙り込む) 川辺   美津恵さん、威嚇しないで下さいよ。 曽我沼  ほら、淳ちゃんしぼんじゃった。 成田   別にそんなつもりないよお。 霞    みなさんのお稽古を、見学なさりたいんだそうですよ。            淳ちゃん お邪魔じゃなければ… 曽我沼  全然そんなことないよ。 川辺   寄ってって寄ってって。 淳ちゃん …そうですか? 川辺   さっきはね、あたしの独りゼリフを霞さんにみてもらってたの。(脚本を 見せる) 淳ちゃん わあ、こんなに長いセリフ、全部憶えたんですか? 川辺   そんなに難しいことじゃないんだよ。 淳ちゃん すごーい。 曽我沼  郁美ちゃん、やって見せてあげたら? 川辺   ええー、恥ずかしいですよ。 成田   さっきは熱を込めてやってたじゃない。 川辺   そうですけど、こうして改まっちゃうと照れちゃいますよ。…みたい? 淳ちゃん ええ。是非。 川辺   しょうがないなー 曽我沼  じゃ、わたしもスタンバイするね。 淳ちゃん 曽我沼さんも? 霞    あのままやるんですか。 川辺   (きいてない)じゃ、いきますよー。      「わたしは海で泳ぐ夢を見る。夢の始めから終わりまで。ずっと海で泳い でいる。水がしょっぱいので海と分かる。海女さんもいるし。いつまでも、そしてい つまでも。(以下略)」…どう? 淳ちゃん …あの、何て言ったらいいか…。 川辺   何?何?思ったこと言って。 淳ちゃん あの、海女さんもいるしっていうのが、面白かったです。 川辺   やった、曽我沼さん、ウケた! 成田   ウケていいの? 霞    まあ、今のところは… 淳ちゃん これ、どういうお話なんですか? 川辺   エレベーターに買い物客が閉じ込められる話。 淳ちゃん はあ…。(静かに混乱) 曽我沼  どう、淳ちゃんも、やらない? 淳ちゃん いいえ、とんでもない。わたしには無理です。 川辺   そんなことないよ。 淳ちゃん ほんとに無理です。わたしには合唱が精一杯なんです。演技なんてとても とても…。 成田   やっぱりダメか。 淳ちゃん でも、演技以外なら、何か、お手伝いしたいです。 曽我沼  ほんと? 淳ちゃん はい。大道具や小道具を作ったりとか、背景を描いたりとか。一緒に絵画 サークルに来た人たちとも話してたんです。 成田   じゃ、他の人たちも何人か戻って来てくれるんだ。 淳ちゃん それはどうかわからないですけど…。 曽我沼  でも淳ちゃんが戻って来てくれるだけでも心強いよ。 淳ちゃん お役に立てるように頑張ります。 川辺   やった。一人ゲット。 曽我沼  ありがとう、淳ちゃん。 淳ちゃん いえ、そんな。…あの、そろそろわたし、絵画の方に戻ります。 成田   あ、そっか。抜け出して来たんだ。 淳ちゃん 廊下であの劇団の方を見かけて、ちょっとお話をお聞きするだけのつもり だったんですけど。すみません、お邪魔してしまって。 霞    お気になさらないで下さい。 曽我沼  じゃあ、後で詳しいこと連絡するね。 淳ちゃん はい、お願いします。…それじゃ。      淳ちゃん去る。 曽我沼  この調子で皆も戻ってくれるといいんだけど。 川辺   そうですねえ。 成田   あれ、そういえば木村さんってどうなったの? 曽我沼  なんかねえ、病院通ってるらしいよ。 川辺   え、こないだの、仮病じゃなかったんですか。 曽我沼  でも、こんなに早く淳ちゃんが戻って来てくれるなんてほんとによかった あ。 成田   いやー、今日のお稽古は達成感があったね。      わいわい喜ぶ3人。 霞    あのう… 曽我沼  あ、すみません、基礎練習。 成田   ごめんなさいねえ。何だか延び延びになっちゃって。 霞    いえ。いいんです。 曽我沼  すっかり遅くなっちゃいましたけど、発声練習始めましょうか。 霞    あ、やりますか。 川辺   もちろんですよ。あ、でもその前に、もう一回だけさっきのとこ見てもら えます?淳ちゃんの前でやったの、何か納得行かなくて。 成田   ええ?またやんの? 曽我沼  もう、今度にしない? 川辺   お願いします。 霞    ああ、じゃあ、もう1回だけ…。      ゆっくりと川辺一人にだけ照明があたる。 川辺   わたしたちは海で泳ぐ夢をみる。夢の始めから終わりまでわたしたちは泳 いでいる。いつまでも、そしていつまでも。ずっと泳いでいるのに、陸はどんどん遠 くなる。近付けば離れ、また近付けば離れる。わたしたちは海で泳ぐ。また陸が遠く なる。 成田   …あれ、そんなセリフだっけ。      暗転 4場   またもや市民センターの練習室。      なぜか、ドレミで発声練習をしている人々。淳ちゃんにつられて戻って来 た人たち。(3人くらい)曽我沼も混ざっている。      急に入ってくる霞。 霞    おはようございま…。      静まる部屋。 霞    す、すみません、部屋をまちがえました。(出ていこうとする) 曽我沼  霞さん、いいんです、まちがえてません。 霞    曽我沼さん。何だ、よかった。…あの、この方たちは? 曽我沼  淳ちゃんが戻って来てくれたら、芋づる式に。 霞    ああ、なるほど。びっくりしたあ。 曽我沼  みなさん、劇団「上海活劇姉妹」の霞響子さんです。 霞    よろしくお願いします。      あいさつをするメンバー。      川辺、成田、入ってくる。 川辺   おはようございまーす。 成田   どーもー…、あれっどうしたの皆。 和久井  淳ちゃんに、面白そうなのにやっぱり人が足りなくて困ってるみたいだか らってきいてさ。 曽我沼  みんなお手伝いしてくれるんだって。 川辺   淳ちゃんありがとー! 淳ちゃん いいえ。皆さんも気になってたんですよ。 成田   もー。だったら最初から抜けないでよー。 和久井  ごめんごめん。ほんとは興味あったんだけどさ、実際にやるとなるとねー。 川辺   でも、戻って来てくれたんだから、出てくれるんでしょ? 和久井  どうかなー、今日はちょっとどんなことやってんのか見学に来たんだけど。 川辺   絶対気に入りますよ。すっごく面白いんだから。 成田   この人燃えてんの。 和久井  みたいだね。 霞    脚本、大幅に書き直すことになりそうですね。 曽我沼  大丈夫ですか? 霞    ええ、このぐらいは増えるかもしれないなーと思ってたので、少しは考え てましたから。 川辺   霞さんが脚本直すんですか。 霞    一応、何本か書いたことがあるんです。 成田   こないだの辻さんて人に頼むのかと思ってた。 霞    それでもよかったんですけど、実は辻さんて遅筆で有名な人なので…。 成田   ああ、こだわりあるみたいな人だったしね。 霞    そうなんですよ。下手すると新作を書くよりかかるかもしれない。 和久井  ほんとは女優さんでしょ?演出もやって、脚本も直して?マルチですね。 霞    いえ、そんなこともないです…。 川辺   またまた謙遜して。霞さんて控えめですよねー。 曽我沼  あ、どうします?霞さん。今日のお稽古。 霞    そうですね。とりあえず、基礎練習の後、今まで稽古したところを皆さん に見て頂きましょうか。 成田   今まで稽古したところって… 川辺   わたしのシーンだ! 成田   もういいよー。 川辺   何でですか。 成田   飽きちゃった、あのシーン。もう本番まで見る気がしない。 川辺   そんなあ。じゃあ、どこみせるんですか? 成田   脚本を読んで見せようよ。それでいいじゃない。 霞    そうですね。 川辺   霞さーん。 曽我沼  それじゃ、基礎練習始めまーす。みなさんも一緒にどうぞ。          2人組になって柔軟体操。腹筋したりとか。 曽我沼  そうだ、昨日、鵜飼さんからお電話があったんだけど… 成田   えっ。      一瞬どよめく。 川辺   う、鵜飼さん? 和久井  あ、あたしちょっと用事思い出しちゃった。 大沼   あー…、やだな忘れてた。取引先から電話来るんだった、ごめんね。 津田島  どーしよー、お鍋火にかけたままだったー。 霞    あの、ちょっと皆さん、どうなさったんですか、急に。      それぞれいいわけを残して、そそくさと去っていく一同。      あっという間にいつもの4人と淳ちゃんを残していなくなる。 霞    …何者なんですか、その鵜飼さんていう方は。 成田   うーん。名前が出ただけで、これだもんね。 川辺   簡単に言うと、土地の有力者の娘さんで、大きな会社の社長婦人です。 霞    えーと、つまり 成田   扱いづらいんですよ。この上なく。うちの一番の古株だし。 霞    はあ。 曽我沼  そう?何か面白い人じゃない? 成田   あたしはあんたの方が面白いけどね。 川辺   それより、何の用だったんですか?鵜飼さん。 曽我沼  ああ、「人が足りなくて困ってるんでしたら、わたしがお手伝いして差し 上げましょうか?」って。 成田   いらねー。 川辺   それで、なんて答えたんですか。 曽我沼  ああ、いいですねって。 成田   そーがーぬーまー! 曽我沼  今晩来るよ。 川辺   えええっ! 成田   うそっ。 淳ちゃん あの、鵜飼さんがいらっしゃるんなら、そろそろじゃないですか…。 成田   あ、ほんとだ。 霞    わかるんですか? 成田   あの人はとにかく目立ちたい人だから。必ず全員が集まった後、遅れてや って来るんだよね。 川辺   「ごめんなさいねー、うちのメルセデスったら、扱いにくいのよー」とか 言いながら。 霞    めるせです… 川辺   ベンツ。 霞    ですよね、やっぱり。 成田   しばらく、お休みしたいって言ってたんじゃなかったっけ? 曽我沼  休んでる間も会費は振り込んでくれてたから、一応お芝居やりますって報 告しといた方がいいかと思って。 成田   いいじゃん、知らせなくったって。 曽我沼  だって、もう知らせちゃったもん。        唐突に鵜飼が入ってくる。 鵜飼   こんばんは。遅れちゃってごめんなさいねー、久しぶりで道に迷っちゃっ たの。うちのメルセデスったら扱いにくいのよ。 曽我沼  鵜飼さん、お久しぶりです。あいかわらずですね。 鵜飼   そう? 川辺   お久しぶりです。 淳ちゃん こんばんは。 成田   どうも。 鵜飼   わたしのいない間、みなさんお元気でした? 成田   ええ、全然かわりありませんよ。 川辺   (隅っこで)かえっていつもより元気でした。 淳ちゃん きこえますよ。 曽我沼  あ、御紹介しますね。今回助っ人でいらしてくれた、劇団上海活劇姉妹の 霞響子さんです。 霞    よろしくお願いします。 鵜飼   鵜飼寿美子です。役者さんなんですってね。どちらをやってらっしゃるん ですか? 霞    は? 鵜飼   男役?娘役?…背は普通だから娘役かしら。でも、ボーイッシュだから男 役にも見えるし…。 霞    いえ、あの、うちはちゃんと男性の役者もいますから。 成田   鵜飼さん、宝塚とは違うんですよ。 鵜飼   あら、「活劇姉妹」っていうから、あたしてっきりそういうのかと思った。 霞    お好きなんですか。 鵜飼   ええ。よく観に行くんですよ。兵庫まで。 霞    わあ、熱心ですね。 鵜飼   でもお芝居っていうと、そのぐらいしか観たことないんですよ。 霞    十分ですよ。 鵜飼   そう?…ところで、さっき和久井さん達とすれ違ったんですけど、あの方 たち、どうかなさったの? 成田   さあ…、何か用事があるとか(ないとか)…。 鵜飼   大変ね。また逃げられちゃったのね。 成田   はあ、まあ、そうですねー。あははははは。 鵜飼   うふふふふふふ。 曽我沼  ね、なんか面白い人でしょ? 霞    はあ…。 鵜飼   それにしても、ひどい話よねえ。せっかく皆でお芝居をやるって決めたん でしょう? 川辺   そうですねえ。もうちょっとで皆で出来そうだったんですけどねえ。 鵜飼   でも、あたしが来たからにはもう大丈夫。立派な舞台に仕上げますからね。 成田   わー、こころづよーい。 鵜飼   それで、脚本はどんな?私が出るからにはやっぱり華やかなお話なんでし ょうねえ?        一瞬凍り付く一同。 成田   …と、いいますと? 鵜飼   舞台はどこ?フランスかイタリアあたり?やっぱりドレスは皆、自前でそ ろえるの?歌は一人何曲唱うのかしら? 霞    え、えーと、申し訳ありませんが、少なくともミュージカルではありません。 鵜飼   そうなの?でも、劇のポイントポイントで歌を入れたりとかはするんでし ょう? 霞    そういうのをミュージカルっていうと思うんですけど…。 鵜飼   あら、そう言われればそうねえ。 川辺   それと、ドレスはいらないんですよ、このお芝居。 鵜飼   じゃあ、衣裳は? 成田   えー、ちょっとそのへんのデパートに買い物に行こうかしらってくらいの…。 鵜飼   ちょっとおしゃれなスーツとか? 川辺   どうですか?霞さん。 霞    ま、まあ、おかしくないんじゃないでしょうか。 鵜飼   一体どういうお芝居なの? 霞    …デパートのエレベーターに買い物客が閉じ込められてしまうお話なんです。 鵜飼   まあ、結構地味なのね。 霞    ええ、そうなんです。すみません…。 鵜飼   登場人物は? 霞    主婦と女子高生とOLと別なデパートのエレベーターガールなんですけど… 鵜飼   ますます地味ねえ。 霞    すみません…。 川辺   霞さん、頑張れ!(小声) 淳ちゃん 霞さん、ファイト!(小声) 鵜飼   それで? 霞    え? 鵜飼   わたしの役は? 霞    あの、えーと… 鵜飼   まさかこの私に、今仰った役の中のどれかをやらせる気じゃないんでしょ? 霞    そ、それはもちろん、新しい役を考えなくてはいけませんよねえ。 鵜飼   やっぱり。それが当然よねえ。 霞    はい…。 鵜飼   よかった。私ってこの通りの育ちなものだから、どうせ庶民的な役をやっ ても合わないもの。お手数ですけど、そうして下さいね。あなたが脚本に手をお入れ になるの? 霞    ええ。 鵜飼   お忙しいんでしたら、私がお直ししましょうか? 霞    い、いえ、とんでもない。御心配なく、完璧に直してみせますです。 鵜飼   そう?それじゃ、よろしくお願いいたしますね。 霞    …はい。      どっっっ、と疲れる霞。 曽我沼  そろそろ、練習の続き始めませんか? 鵜飼   あら、ごめんなさいね、お邪魔しちゃって。 曽我沼  鵜飼さんも、どうですか? 鵜飼   え?私も?どんなことをするの? 霞    基礎練習ですから、そんなに難しいことはしませんよ。 成田   柔軟体操したり、発声練習したり。 鵜飼   セリフを言ったり、演技したりは? 霞    ああ、それは基礎練習の… 川辺   鵜飼さんの場合、まだ脚本が書き直されてないですから。 鵜飼   そう言われれば、そうねえ。それに私今日、運動向きの格好じゃないし。 成田   それじゃ、見学します? 鵜飼   うーん、今日はいいわ。帰ります。 霞    え?お帰りになるんですか? 鵜飼   ええ、今どんな様子なのか見に来ただけですから。よくわかりました。 成田   はあ、そうですか。 鵜飼   みなさん、大変でしょうけど、頑張りましょうね。大丈夫、私がついてま すから。      ノリについてけない3人。曽我沼だけがニコニコしている。 鵜飼   それじゃ、脚本が出来たら改めてよんで下さいね。 霞    は、はい。 鵜飼   みなさん、ごきげんよう。 4人   ごきげんよう…      鵜飼、帰って行く。見送る4人。 成田   ね、扱いにくいでしょ。 霞    そうですね。 川辺   大変なことになっちゃいましたね。 霞    はあ。 淳ちゃん めったな役、かけませんね。 霞    そうですね。 成田   「脚本が出来たら」って、つまり脚本が直るまで出る気はないのか。 川辺   むしろありがたいですけどね。 成田   いつもそうなんだよねあの人は。ぜーんぶお膳立てが出来てからでないと 参加しないの。 曽我沼  いいじゃん、早く出て来られたって役に立たなかったじゃない。 成田   確かにね。 淳ちゃん 霞さん、大丈夫ですか?      霞、少しほうけている。 霞    ああいう人、ほんとに存在するんですね。何だか圧倒されちゃって…。 淳ちゃん マンガの中から出て来たみたいですよね。 霞    ええ、そんな感じ。 曽我沼  そこが面白いんですよ。見てるだけで楽しくて。 成田   びびることもないんだろうけど、なーんか飲まれちゃうんだよね。 淳ちゃん そうなんですよね。 曽我沼  大丈夫ですよ、霞さん。いざとなったら、めったな役を書けばいいじゃな いですか。 川辺   そうか。そしたら向こうから出てってくれますよ。書いちゃいましょう。 大根の入った袋下げたおばちゃんとかの役。 霞    でもそんなことしたら… 曽我沼  平気平気。どうせ大したことにはなりませんから。 成田   ほんと? 曽我沼  せいぜい寄付を打ち切られるぐらいじゃない? 成田   だめじゃん!あんた今回いつもより余計にお金かかるって言ってたでしょ。 曽我沼  そうだっけ。 成田   そがぬまあ。 霞    結局、めったな役は書けないわけですから、…頑張ります。わたしとして も、みなさんのサークルの雰囲気を壊したくはありませんし。 川辺   強敵ですよー。 淳ちゃん 頑張って下さい。 霞    はい。できるかぎりは…。 曽我沼  さてと、どうしましょう、今日は。 成田   また基礎練しかできなかったね。 霞    ええ…。そうだ、忘れてました。 曽我沼  なんですか? 霞    公演のチラシの原稿、皆さんに見て頂こうと思って持って来たんですよ。 川辺   チラシ? 成田   ああ、誰がやるんだろうと思ってた。 曽我沼  ちゃんとあたしと霞さんで進めてたの。 霞    (バッグから原稿を取り出す。)こんな感じになります。 川辺   すごーい。プロの劇団みたい。 霞    プロじゃありませんけど、いつもうちのチラシを作ってる方に頼んだんです。 淳ちゃん あたしの名前、載ってない…。 霞    あ、これは仮ですから。決定稿には必ず載せますからね。すみませんけど、 お名前の字を教えていただけます? 淳ちゃん はい。(わたされた霞のメモに名前を書き込む。) 成田   でも、こうしてみるとタイトルが「エレベーター・パニック」っていうの も、何だか野暮ったい感じがしない? 曽我沼  そう? 成田   もっとさあ、こう、タイトル見ただけで「おおっ」っとなる… 川辺   そうですよね、あたしもタイトルはちょっと平凡かなって思ってたんですよ。 霞    でも、辻さんがもともと付けてたタイトルですから、そんなに悪くはない と思うんですけど。 成田   確かに悪くはないけど、意外性は無いよね。 川辺   脚本書き換えるついでに、タイトルも変えちゃいません? 霞    ええ? 成田   あ、そうだよねえ。よし、もっとかっこいいタイトル皆で考えよう。 霞    ええええ? 曽我沼  あたしねえ、そもそも「パニック」っていうのがいけないと思う。 川辺   あたしもそう思ってました。もうタイトル見ただけで、何が起こるかわか っちゃいますよね。 成田   じゃ、「パニック」っての取って別なのつける?「エレベーター・ストー リー」とか。 川辺   ええー、もっと野暮ったいですよ。あたしならね、「エレベーター・ランデヴー」 成田   なにそれ、はずかしー 川辺   恥ずかしくないですよ。 曽我沼  文学的なのは?「四角い箱、人を乗せて上に行くか下に行くか?」 川辺   わけわかんないですよ。やっぱり「ランデヴー」 成田   だめだよ、あたし恥ずかしくてそんなタイトル言えない。 川辺   「ストーリー」だって、平凡すぎてかえって恥ずかしいじゃないですか。 成田   じゃあ、「エレベーター・インフェルノ」 曽我沼  「タワーリング・インフェルノ」のパクリじゃん。 川辺   インフェルノって? 成田   地獄って意味でしょ。 曽我沼  「地獄のエレベーター」か。 川辺   じゃ、「地獄のエレベーターでランデヴー」 成田   あんたこだわるね。 曽我沼  これ、地獄ってほどすごい話じゃないよね。 成田   うーん、「普通のエレベーターで… 川辺   ランデヴー! 成田   しないで、4人のお客の… 曽我沼  偶発的な 成田   …ストーリー」 霞    どんどん長くなる…。 川辺   美津恵さんだってこだわってるじゃないですか。 成田   なんかもう全然わかんなくなっちゃったねー。 淳ちゃん あのう… 曽我沼  ん?何、淳ちゃん。 淳ちゃん いっそシンプルに、「エレベーター」だけにしたらどうでしょうか。 成田   …ああ、なるほど。「タイタニック」だって、シンプルだもんね。 曽我沼  うん、いいんじゃないかな。 川辺   ランデヴー… 成田   却下。 曽我沼  どうですか?霞さん。 霞    まあ、それなら。 曽我沼  チラシのデザイン自体、そんなに変更しないですみますしね。 霞    そうですね。よかった。どこまで転がるかと思いました。 成田   よし、決まり。「エレベーター」でいこう!(拍手) 川辺   じゃ、「ランデヴー・エレベーター」…。 成田   だからそれは却下。      暗転。      電話で話している霞の声。 霞    あ、八神さん?霞です、お疲れさまです。えーとですね、この間デザイン して頂いた、例のお芝居なんですけど…はい、実はですね、タイトルが変わっちゃっ たんですよ。…そうなんですよ、すみません。あ、でも大きな変更ではないんですよ。 「エレベーター」だけになったんです。そう、シンプルに。それでですね、そのよ うにデザインを変更して頂きたいんですけど…      重なるように、他の電話の霞の声。 霞    ほんとですって、もうまるっきりマダムって感じで。信じて下さいよ。あ あもう辻さーん、助けて下さいよー。そういう感じだからこそ、めったな役は書けな い人なんですよ。もうわたしの脳味噌じゃひねり出て来なくって。…おねがいします ー、設定だけでもいいですから、アイディアを… 霞    …うんそう、ああいう市民センターのスケジュールって結構前に決まっち ゃうでしょ。毎週火曜金曜に借りてるんだけど、そろそろ回数増やしたいからさあ。 …ほんと?いいの?よかった、助かる。…じゃあ、座長にはごうちゃんが確認とって くれるのね。ありがとう。うん、うん、ほんとありがとうね。それじゃまた。…あ、 そうだ、まつもっちと連絡取りたいんだけど、ごうちゃんどこにいるかしらない?ピ ッチにかけても全然つながんなくて…    5場   エレベーターの中。成田、曽我沼、川辺、霞の4人が「エレベーター」の 演技をしている。 成田   …何だか、暑くない? 曽我沼  きっと、このエレベーターが止まったのと一緒に、空調も停止したんだわ。 霞    空気!酸素は大丈夫かしら。このままいてわたしたち、酸欠になったりし ないかしら。 川辺   そう言われると、何だか息が苦しくなってきたような気がする。 成田   そう?わたしは別になんともないわよ。 曽我沼  大丈夫よ。エレベーターで酸欠になんかならないわ。 霞    どうしてそんなこと言えるの? 曽我沼  知ってるからよ。昔ならともかく、今のエレベーターって、止まった時の 安全策はしっかりしてるものよ。 成田   あなた、詳しいわね。 曽我沼  わたし、丸越デパートでエレベーターガールをしてるの。 成田   どうりで。 川辺   でも、安全策がしっかりしてる割には、非常ベルもならないし、外との連 絡もつかないわよ。 霞    そうだわ、あたし携帯電話持ってたの。(携帯を取り出す。) 成田   どう? 霞    …だめ、圏外だわ。 淳ちゃん 「途端に奇怪な音が聞こえてくる。恐怖におののく4人。」(ト書きを読 んでいる。)      音響がト書きの通りに入る。ちょっと嬉しそうな川辺。 霞    川辺さん、セリフセリフ。 川辺   あっ、「きゃあ、何?この音。」 曽我沼  落ち着いて、大丈夫よ。 川辺   もうダメよ、きっとこのエレベーター、爆発するんだわ!      全体が明るくなる。 霞    はい、それじゃ、ちょっと休憩しましょう。まつもっち、ありがとう。 4人   ありがとうございます。 まつもと いいえ。 霞    ダメ出しは、休憩の後で。(隅に行って考え込む) 4人   はーい。 川辺   やっぱり音が入ると違いますねー。あたしちょっと本気になっちゃった。 成田   セリフ忘れてたじゃん。 川辺   美津恵さんのいじわる。 曽我沼  淳ちゃん、ごめんね。背景終わってるのにお稽古付き合わせちゃって。 淳ちゃん いいんです。見てるだけで楽しいですから。 成田   ほんと? 淳ちゃん はい。 成田   ふーん。 川辺   どうかしたんですか、美津恵さん。 成田   別に。…ねえ、劇団の稽古場見たの初めてだけどさ、いつも練習してる市 民センターとあんまりかわんないんだね。もっと立派なの想像してた。 川辺   音響システムがあるじゃないですか。 成田   そうだけどさ。 霞    もっと広い稽古場を持ってる劇団もありますよ。うちがたまたまこの大き さなだけで。 成田   すみません、きこえました? 霞    気にしてませんから。(考え込む) 曽我沼  気にしてる気にしてる。      和久井、入ってくる。 和久井  こんばんは。 川辺   あー、わくちゃん。 和久井  チラシとダイレクトメール、配り終わりました。 霞    ごくろうさまです。 曽我沼  ごくろうさま。ありがとう、和久井さん。 和久井  気にしないで。かえってごめんね、このくらいしか手伝えなくて。 成田   ねえ、ほんとに役者で出る気ないの? 和久井  あたしはいいよお。 成田   またまた。 和久井  あ、そうだ、木村さん入院したって知ってた? 川辺   え?そうなの? 曽我沼  そうだった。忘れてた。なんかね、急性盲腸炎で運ばれたんだって。 成田   ついに入院か。どんどん悪化してない? 曽我沼  でも、通院してたのとは別だし。 淳ちゃん どっちみち、木村さんはほんとにダメになったんですね。 成田   盲腸なら、本番のあたりには退院してるよ。 和久井  うん、見には来てくれるんじゃない?…今、何してるの? 成田   休憩中。 川辺   霞さんのダメだし待ってんの。 霞    大事なこと忘れてました! 成田   なんですか、突然。 霞    鵜飼さんの役を足した脚本、完成したんです。 川辺   ええええっ! 和久井  …あ、あたし、ちょっと用事を…(成田に腕をつかまれる) 曽我沼  それで、鵜飼さんに連絡は? 川辺   だって、まだできたばかりなんでしょ? 霞    それが…、このところ「脚本はまだか」って、鵜飼さんから矢のような催 促で。 川辺   そんな催促無視しちゃえばいいじゃないですか。 霞    そうもいきませんよ。公演日だって近付いてるんですから。 成田   結局、知らせたんですか。 霞    運悪く昨日、仕上げたところにちょうど電話がかかって来ちゃいまして…。      一同、静まりかえる。 曽我沼  …来る。 和久井  あたし、本当に用事が…(再び成田に腕をつかまれる) 川辺   鵜飼さん、やる気なんだ。 曽我沼  あたしたち、催促されたことなんて、今まで一度もないもんね。 淳ちゃん 霞さんの電話番号、何で知ってるんでしょう。 成田   あ、ほんとだ。なんでだろ。 曽我沼  あたしが教えたから。 成田   どうして。 曽我沼  だって教えろって言うんだもん。断る理由ないじゃん。 川辺   ね、結局どういう役書いたんですか? 霞    ロシアのロマノフ朝の最後の生き残りアナスタシアの孫にあたり、日系2 世で、職業は弁護士です。 川辺   うわ、どこに出すんですかそんな役。 霞 大丈夫です。設定がすごいだけで、とどの詰まりは動かないエレベーター を発見するだけの役ですから。 川辺   なるほどね。 霞    と、とにかく、いらっしゃるんならそろそろなんですよね。何とかこれで ごまかされてくれるとありがたいんですけど。 成田   無理だと思うよ。 曽我沼  皆でお祈りでもしましょうか。      鵜飼、唐突に入ってくる。 鵜飼   こんばんは。遅れちゃってごめんなさいねー。初めてのところだから道に なれなくって。わかりにくいわねえ、ここ。 霞    すみません。 鵜飼   あら、和久井さん、お久しぶり。 和久井  どうも、お久しぶりです。 鵜飼   また逃げ出しちゃダメよ。 和久井  は、はあ。 鵜飼   脚本、出来たんですって?待ちくたびれましたわよ。 霞    すみません。 鵜飼   それで? 霞    は? 鵜飼   脚本。 霞    あ、すみません。 鵜飼   あなた、さっきからすみませんしか言ってないわよ。 霞    すみません。ええとですね、ちょっと複雑な役柄なんですよ。 鵜飼   まあ、よろしいんですよ。どんな役でも演じ切る覚悟は出来てますから。 川辺   でもOLや主婦を演じ切る覚悟はないんだ。 淳ちゃん 郁美さん。 霞    こちらが新しい脚本です。みなさんもどうぞ。(皆に脚本を配る。)鵜飼 さんの出番は…、この辺からですね。(ページをさす) 鵜飼   …まあ、ロマノフ朝の生き残り?そうよ、そういう役じゃなくちゃねえ。 霞    それで、故障したエレベーターの第一発見者なんです。 鵜飼   分かりました。さっそくお稽古始めましょう。 川辺   鵜飼さん、基礎練習から始めるんですよ。 鵜飼   あら、わたしは大丈夫よ、そんなことしなくても。この通り声量はあるし、 この役、そんなに動く役柄じゃないんでしょ。柔軟体操なんてやる必要はないわよ ね。 川辺   う…、霞さん、どうですか? 霞    確かに声量はありますね…。 鵜飼   そうでしょう。さっさと稽古を始めましょうよ。わたし、みなさんとの遅 れを早く取り戻したいの。 霞    …それじゃ、ちょっと読んでみましょうか。      全員集まって脚本を開く。 霞    では、7場、デパートのエレベーターホール。ポーシャ・坂口のセリフから。 鵜飼   わたしね? 霞    はい。 鵜飼   「あら?どうしたのかしら。このエレベーター、さっきから5台あるうち 4台しか動いてないわ。…何かあったのかもしれない。ちょっと、警備員さん、来て 下さい。」 成田   で、8場のわたしたちの救出につながるわけだ。 鵜飼   その後は? 成田   終わりですよ。閉じ込められる話だから、救出されたら終わりでしょ。 鵜飼   ちょっと待って。 曽我沼  どうしたんですか? 鵜飼   あたしのセリフ、これだけ? 霞    い、いえ、まだありますよ。ラスト近くのところで…(脚本をさす) 鵜飼   「デパートを相手取って訴訟を起こすんなら、相談に乗りますわ。わたし、 こういう者ですの。(名刺をわたす)」…もう一つあるだけじゃない。 霞    そう…ですねえ。 鵜飼   しかも次の客Bのセリフ。 成田   あ、あたしだ。「結構です。このエレベーターに今日乗れてなければ、今 のわたしの幸福感は得られませんでしたから。」 霞    これが、なにか。 鵜飼   (呆然と立ちすくむポーシャ・坂口)かっこいい客Bのセリフに軽くいな されてるわ。 霞    そうですね…。 鵜飼   わたし、信じられない…。      恐ろしいほどの静寂。突然すっくと鵜飼が立ち上がる。 鵜飼   曽我沼さん、ちょっと…。 曽我沼  はい。      鵜飼、曽我沼を連れて部屋から出て行く。      どっと力の抜ける一同。 川辺   …曽我沼さん、連れてかれちゃいましたよ。 成田   これじゃごまかせないでしょう、いくらなんでも。 霞    ですよね、わたしもそう思ったんですよ。 成田   じゃ何故、これを書くか。 霞    辻さんにも助けを求めて、二人で知恵を振り絞った結果なんです。わたし たちにはこれが限界です。これ以上の役なんて書けません。 成田   逆ギレされてもなあ。 霞    すみません。 川辺   どうなるんでしょ。 成田   今ごろ曽我沼、書き直しか、寄付打ち切りか、どっちをお取りになる?と か言われてるよきっと。 霞    もう無理です。(頭を抱える) 和久井  でもさ…。(ものすごく笑いをこらえている。) 淳ちゃん 和久井さん、大丈夫ですか? 和久井  うん、あのさ、ちょっとすごくなかった?鵜飼さんの読み方。 川辺   あ、わたしも人のこと言えないけど、思った。そうだよねー。 和久井  ふだんの方がよっぽど演技くさいのに、…すっごい下手くそ。 川辺   本人自信持ってるだけに、余計笑える。 成田   そうそう、合唱もそうだよね。自信あるけど音痴なの。 淳ちゃん 美津恵さん、そんなこと言っちゃ悪いですよ。 和久井  ほんっと見かけ倒しだよね、あの人。      こらえきれず笑い出す、成田、川辺、和久井、淳ちゃん。 霞    あの、笑ってる場合じゃ…。 川辺   …ないですね。 成田   どうすんの? 霞    どうもこうも… 川辺   せっかくだから、今のうちにさっきのダメ下さいよ。 成田   あんたこんな時に。 川辺   だって時間がもったいないじゃないですか。 成田   そういう問題かな。 川辺   ね、霞さん。 霞    え、ええ。そうですね…。じゃ、まず客Aの川辺さんから… 成田   ほんとにやるの? 霞    じっとしてるのもなんですから。 成田   今じゃなくてもいいじゃん。 川辺   どうしたんですか、美津恵さん。ダメだしそんなに嫌なんですか? 成田   別に、嫌じゃないけどさ。 川辺   …最近美津恵さん、ダメ出しの時妙に機嫌悪くなりますよね。 成田   そんなことないでしょ。 川辺   そんなことあります。ダメですよ、自分じゃわかんないんだから、演出さ んの言うことちゃんときかなきゃ。 成田   あんた失礼だね、まるでわたしが身の程知らずの自信家みたいに。 川辺   じゃあ、ダメ出しききましょうよ。 成田   …わかったよ。 霞    あの、わたしの言い方、きつすぎます? 川辺   ほらあ、霞さん気にしちゃったじゃないですか。 成田   いや、言い方がどうとかじゃなくて…。 霞    なんですか? 淳ちゃん 美津恵さん、ひょっとして悩みでもあるんですか? 霞    言って下さい、何でも。解決できることもあるかもしれません。 成田   ちょっと、なんでここで悩みを打ち明けなきゃいけないの。 和久井  水臭いなあ美津恵。何でも言ってくれればいいのに。 成田   いや、悩みとかそういうことじゃなくて。 淳ちゃん 美津恵さん。 成田   大したことじゃないよ。 川辺   やっぱりあるんだ。 成田   だから、大したことじゃないんだってば。 霞    成田さん。 成田   …なんか、ダメ出しってさ、どうせ下手なの自分でわかってるから、細か いこと言われてもなっていうかさ…。 霞    やっぱり、言い方がきつすぎたんですね? 成田   そういうことじゃなくて、…あのさ、何かおかしくない?この脚本。 霞    え…。(凍り付く) 川辺   おかしいって、ストーリーがですか? 成田   ストーリーもあるかもしれないけど、なんていうか…。これ、とりあえず 普通の人たちの話でしょ。 霞    ええ。 成田   普通の人たちなんだから、あたしたちと大した違いもなくて、…だから、 理屈で行けば、自分が普段通りだと思う演技をすればできるはずだよね。 霞    ええ…。ただ、役のキャラクターがありますから、やっぱり他の人間を演 じることになると思うんですけど。 成田   でも、霞さんがやった夜の世界の象徴とかにくらべれば、極端な違いはな いわけでしょ。 霞    そうですね。 成田   でしょ?でもさ、いくらやっても、しっくりこないんだよね。 霞    しっくりこない? 成田   自分の普段通りにならないの。セリフ喋ってると、何か違和感を感じるっ ていうか。 川辺   そうですか?わたしなんともないですけど。 成田   うーん、でもさ、あたしたちじゃ気付かないけど、脚本がおかしいってこ ともあるかもしれないじゃない? 川辺   …どうですか?霞さん。 霞    わたしには、普通の脚本に見えますけど。 川辺   ですよねえ。      考え込む一同。      そこへ、曽我沼、鵜飼が戻って来る。 曽我沼  どうしたの? 成田   ああ、いや…。えーと… 鵜飼   みなさんごめんなさいね、曽我沼さんお借りしちゃって。 成田   いいえ。 鵜飼   曽我沼さん、後はよろしくお願いしますわね。 曽我沼  あ、はい…。 霞    お帰りになるんですか? 鵜飼   ええ。今日は何だか気分が優れませんので。それじゃみなさん、ごきげん よう。 5人   ごきげんよう…。      鵜飼、去る。 川辺   帰っちゃった。 和久井  なんか知らないけど、助かったあ。 曽我沼  そう思う? 成田   …わかった! 川辺   びっくりした。どうしたんですか急に。 成田   しっくりこない理由、わかったよ。 霞    なんですか? 曽我沼  何の話? 川辺   ああ、話せば長くなるんですけど… 成田   セリフが鵜飼さんみたいなんだよ。 霞    鵜飼さんみたい? 成田   「〜だわ」とか「〜かしら」とか。そんなの普段あたし使わないもん。 川辺   ああ、言われてみれば。 和久井  確かに鵜飼さんぐらいだ。 成田   しっくりこないはずだよね。何で気付かなかったんだろ。 川辺   でも、ドラマや小説の女の人の喋り方って、みんなこうですよ。 淳ちゃん だからこそ気付かなかったんじゃないですか。 霞    で、でも成田さん、ドラマとか見てて、おかしいって思ったことあります? 成田   ないけどさ、見るのと自分でやるのとは別だよ。現にあたし気持ち悪いも ん。 曽我沼  ああ、確かにこうして気付いてみると、何かおかしい気がする。 霞    曽我沼さん。 成田   ね?そうでしょ。不自然だよ。普段使わない言葉で普通の演技するなんて さ。ねえ霞さん、あたしのセリフ、語尾変えちゃだめ? 霞    …あの、一人変だけ変えてしまうと、かえって不自然になってしまうと思 うんですけど。 成田   じゃあ他の3人の語尾も変えればいいじゃない。 霞    …うーん。 成田   だめなの? 霞    …少し考えさせて下さい。 成田   どうぞ。      霞、再び隅っこへ。 川辺   あーあ、美津恵さんだめですよ、霞さん困らしちゃ。 成田   だってしょうがないじゃん。あたしの切実な問題なんだもん。 和久井  (脚本をぱらぱらめくっている)この脚本さあ、そもそもどっかの劇団で やった時、評判よくなかったんでしょ? 成田   うん、そうらしいけど。なんで? 和久井  わかるような気がする。 霞    えっ。 和久井  何で後半、こんな哲学的になっちゃうんだろうね。 川辺   哲学的? 和久井  何かみんな、泳いだり、砂漠歩いたり、蟻になったり、果ては宇宙をさま よったり。 川辺   それはさ、一人一人のしんしょうふうけいだから。 和久井  んじゃそれはいいとしても、結局最後4人が4人宗教家みたいになっちゃ って、気持ち悪いよこれ。 霞    気持ち悪い…。 曽我沼  ああ、あたしの最後のセリフなんて「いっそ運命の仲間たちとともに、こ のエレベーターのなかで昇華したかったわ」だもんね。 和久井  うわ、何だか危ない。 成田   言われてみればそうかもね。 霞    み、みなさん。 和久井  もっとさあ、意外性のある展開にできなかったのかな。せっかく同じ誕生 日なんだからこのうちの二人が、実は生き別れの双子だったとかさあ。 川辺   あ、いいねえ。じゃあ、歳が近そうなOLの客Bと、エレベーターガールの 客Cが双子。 成田   あたしと曽我沼?全然似てないじゃない。 川辺   きっと二卵生なんですよ。 成田   あんたと霞さんの方が似てるよ。 和久井  うわっ、ほんとだ。 曽我沼  一卵生でいけるかもね。 川辺   えー、女子高生と主婦ですよ。 曽我沼  じゃあ、生き別れの親子。 成田   それいいよ。 川辺   同じ誕生日の意味無いですよ。 曽我沼  そっかー。      げらげらうける4人。 淳ちゃん あのー…。 成田   ん、何?淳ちゃん 淳ちゃん 霞さんが死んでます。 成田   あ。 曽我沼  …か、霞さん? 霞    生き別れの、双子に、生き別れの、親子…。 和久井  ちょっとよくないですか…? 霞    この上、その意外性のある展開に、書き直さなきゃいけないんですか? 川辺   やだな、冗談ですよ、冗談。ね、わくちゃん。 和久井  う、うん。 霞    言っときますけど、実は双子だったなんて展開、意外でも何でもありませ んし、ありきたりすぎてどんな話にも使えません。 曽我沼  そうですよねえ。あたしも何となくそう思った。 川辺   そがぬまさん。 成田   でも、面白いじゃない。 霞    わたしはそうは思いません。 成田   そうかなあ。少なくとも、今の展開よりは面白いよ。 霞    ……。 成田   やってて自分でもわけわかんない展開より、ありきたりの展開の方が面白 いってみんな言ってるんですよ。 川辺   美津恵さん、そんなはっきり言っちゃあ…。 成田   なに。 霞    でもみなさん、本を決める時には面白いって言ったじゃないですか。 成田   確かにあの時はそう思ったけど、だんだん目が覚めてきたっていうかさ。 霞    そんないいかげんな。 成田   だってわかっちゃったもんは仕方ないでしょ。こうなったら、引き返すこ とも必要じゃない? 霞    それはやっぱり書き直せってことですか。 成田   少しでも面白いと思える方がいいじゃないですか。 霞    わたしは、面白ければ何でもいいっていうのは違うと思うんです。 成田   でも面白くなくちゃ、やる意味がないでしょ。 霞    面白くなくったってやる意味はあります。 成田   どんな意味があるんですか? 霞    …う、一言じゃ言えませんけど。 成田   ほんとはないんだ。 霞    あります。 成田   ないんでしょ。 霞    あります! 成田   そんなムキになんなくたって。 霞    …成田さん。 成田   はい。 霞    八つ当たりはやめて下さい。 成田   八つ当たり? 霞    客Bの演技が思うように行かなくて、イライラするのはわかりますけど、 セリフのせいにしたり、脚本が面白くないだとか、八つ当たり以外の何ものでもない でしょう? 成田   何言ってんの?八つ当たりはそっちでしょ。鵜飼さんのわがままはちゃん ときくくせに、あたしたちが脚本いじろうとすると、いちいち目くじら立ててさ。当 たるぐらいなら鵜飼さんにしっかり文句言いなさいよ。 霞    わたしは別に鵜飼さんを特別扱いしてるつもりはありません。 成田   じゃ、なんだっていうの。 霞    わたしにしてみれば、みなさんも鵜飼さんと一緒です。おんなじぐらいわ がままです!これ以上、わたしにはどうもできません。もう、限界です。      気付くと、音響・まつもとが、バトルっぽい曲をかけている。 霞・成田 まづもっぢ! まつもと すみません。(慌てて消す) 成田   …霞さん、最初に言ったよね。「お芝居はほんとに面白い」って。 霞    ええ。 成田   でも今あたし、全然面白くない。やっぱり、霞さんの言った通りの理由で イラついてるからかもしれない。でも、面白くないのは、霞さんもでしょ。 霞    ……。 成田   そりゃ、霞さんが何足もわらじ履いて大変なのはわかるけど、そんなんじ ゃこっちも不安になるよ。 霞    でも、この状況でどうやって楽しめって言うんですか。 成田   そんなのあたしにきかないでよ。霞さんが楽しいようにやればいいじゃな い。 霞    あたしのやりたいようになんて始めからできないじゃないですか。 成田   それじゃ、霞さんは、あたしたちが霞さんの言うこと従順にきいて、その 通りやれば面白いんだ。 霞    そんなこと言ってません。 成田   でも、そういうことでしょ。 曽我沼  美津恵、きついよ。 成田   そうかな。 淳ちゃん あの、あの… 成田   なに? 曽我沼  どうしたの、淳ちゃん。 淳ちゃん おかし、食べませんか? 霞    え? 淳ちゃん 鵜飼さんが、さっき差し入れて下さったんです。みんなで食べませんか? わたし、お茶の準備しますから…。 霞・成田 ……。 川辺   「休戦して、ちょっと落ち着きませんか」と、淳ちゃんは言ってます。 淳ちゃん …はい。(顔まっか) 成田   わかった。霞さん。 霞    あの…、少し、考えさせて下さい。      霞、また隅っこへ。 川辺   もう、あんなに言ったら霞さん泣いちゃいますよ。 成田   なに、人を悪役みたいに。 和久井  あのさ、だいぶ忘れられてるけど鵜飼さん、何を言い残して去ったの? 曽我沼  あ、ほんとだ。忘れてた。 和久井  なんだ。今度はその程度のことだったんだね。 曽我沼  ううん、大変なことになったよ。 川辺   また、曽我沼さんオーバーですよ。 曽我沼  誰かの役と、設定ごと取り替えろって。 霞    …え。 川辺   まじですか。 曽我沼  まじ。 和久井  うーん、そう来たか。 川辺   ひょっとしてあたしたちに恨みでもあるんじゃないですか? 曽我沼  そうかもねー。 淳ちゃん 霞さんがまた死んでます。 川辺   ああー。 成田   あたしいいよ。 他5人  え? 成田   鵜飼さんの役、客Bと取り替えて。 曽我沼  美津恵? 成田   丁度いいじゃん。あたし、行き詰まってたし。 川辺   だからってそんなあっさり…。 成田   いいんじゃない?エレベーターに乗った人間の一人が、ロシア系ってのも、 意外性があって。 霞    そんな、待って下さい。 成田   大丈夫だよね。本番まではまだ間があるし。 霞    成田さん! 成田   霞さん、きっとこれで少しは面白くなるよ。      暗転      電話で話す声、霞。 霞    …あ、八神さん。何度もすみせん。…はい、今度は、せっかく作って頂い たパンフなんですけど、キャスト変更がありまして、…ええ、どうもすみません。… ええ、変更はですね、客Bの役者と役名なんです。役者は鵜飼寿美子。役名はポーシ ャ・坂口で。…はい。はい。お願いします…     重なるように鵜飼と成田の話す声。 鵜飼   ごめんさいね、成田さん。あなたのポジションを奪ってしまって。 成田   いえ。いいんです。 鵜飼   ほんとに、霞さんがもっと上手に直していて下さったらこんなことにはな らなかったのにねえ。 成田   はあ。 鵜飼   でも、霞さんを悪く思っちゃだめよ。あれでもあの人なりに一生懸命やっ てるみたいだから。 成田   え、ええ。そうですね。 淳ちゃん 鵜飼さーん、出番ですけど…。 鵜飼   はーい。…本番まで後少し。お互い頑張りましょうね。それじゃ…。      成田独り浮かび上がる。 成田   「誰かがハドメにならなければ」そう思って始めたお芝居だけど、いつの まにかわたしも一緒に坂を転がり落ちていたらしい。それでも、わたしが役を交換し たことで、何かのハドメにはなったような気がしている。脚本は、結局少しだけ書き 直され、川辺と霞さんが生き別れの親子という設定になった。あの翌日から鵜飼さん も加わり、稽古は順調にすすめられている。      エレベーターの中に浮かび上がる霞、川辺、曽我沼、鵜飼。 鵜飼   「きっとわたしたちの運命はこのエレベーターというパンドラの箱に残っ た最後の希望なんだわ!」 霞    鵜飼さん、手と足一緒に出てます! 鵜飼   嘘よ、そんなはずないわ。 川辺   鵜飼さん、セリフ喋るとき人押し退けて前に出るのやめてください。 鵜飼   だって邪魔な位置にいつもあなたがいるからよ。 曽我沼  鵜飼さん、一人台詞に曲付けたんですか…。 鵜飼   知り合いに頼んで付けてもらったのよ。いい曲でしょう? 成田   …とにかく、稽古は順調に進み、いよいよ本番の日を迎えた。      「あれ?どうしたんだろう。このエレベーター、さっきから5台あるうち 4台しか動いてない。…何かあったのかな。ちょっと、警備員さん、誰か、来て下さ い!」 6場   本番当日の会場。ゲネプロをしている。 曽我沼  助かった…。 川辺   助かったのね。 鵜飼   この箱ともさよならだわね。 霞    光が見える。あたしたち、またあの世界に戻っていくんだわ。 川辺   あたしたち、これからどうなるの? 鵜飼   どうもならないわよ。 曽我沼  そうね、元の退屈な生活に戻るだけ。 川辺   お母さん。 霞    ここを出たら、元の他人に戻りましょうね。それが一番いいのよ。 川辺   わたし、なんだか恐い。 鵜飼   さようなら、わたしの分身達。 曽我沼  ああ、いっそ運命の仲間たちとともに、このエレベーターのなかで昇華し たかったわ。 霞    助けなんか、永遠にこなければ良かったのに…。      音楽がだんだん大きくなる。ふっと途切れる。 和久井  おつかれさまでした。 他6人  おつかれさまでした。 霞    今ので何分かかりました? 和久井  えーっと、1時間43分です。 川辺   どうだった?淳ちゃん。 淳ちゃん よかったです。 川辺   どこが? 淳ちゃん えーと、海女さんのところが… 川辺   淳ちゃんそればっかりじゃん。 霞    スタッフさんもお疲れさまでした。差し迫ったゲネで申し訳ありません。 えーと、これから微調整の打ち合わせをします。役者のみなさんは休憩をとって下さ い。後で最後のだめ出しをしますので、今のうちに食事をとっちゃって下さい。 一同   はーい。        霞、和久井、忙しく退場。入れ代わりにパンフを持って入ってくる成田。 鵜飼   みなさん、どうなさるの? 曽我沼  えーと、このへんでだべってます。 鵜飼   そう。それじゃわたし、控え室にいますから、何かあったらよんで下さい ね。 曽我沼  はい。        鵜飼、去る。その場に残った成田、川辺、曽我沼、淳ちゃん。 成田   控え室って!? 淳ちゃん 下のリハーサル室です。 曽我沼  個人で借りちゃってね、一人用の控え室にしちゃったの。 成田   うわ。わたしたちと同じ楽屋じゃだめなんだ。 曽我沼  でも、返ってその方が楽でしょ。 川辺   ですよね。 成田   まあ、そうか。 川辺   美津恵さん、これなに? 成田   パンフ。受け付けんとこにあったから一部もらって来たんだ。すごいよー、 これ。 曽我沼  ああ、これね。 川辺   え?なんですか。見せて下さいよ。(パンフを開く)うわ、鵜飼さん…。 成田   ね、でかでかと。 川辺   何でカサさしてんでしょ…。 淳ちゃん プロの方に撮ってもらったんだそうですよ。 川辺   プロだとカサさすの? 淳ちゃん さあ、知りませんけど。 成田   浮いちゃってるよね、パンフのデザインに。 曽我沼  そりゃそうだよ。無理矢理ねじ込んだんだもん。 川辺   すごいことしますねー。      大沼、津田島はいってくる。 大沼   こんにちはー…。 川辺   あー、大沼さんたち、遅いですよ、何してたんですか。 曽我沼  あれ?木村さんは? 成田   え、木村さん退院したの? 川辺   美津恵さん知らなかったんですか? 成田   知らないよ。じゃ何、来てるんだ。 津田島  ううん、それが、そこまで一緒に来たんだけど、ここに入る直前に自転車 に跳ねられて… 大沼   今病院まで付き添ってったとこ。両足骨折で、しばらく動けないって。 川辺   今度は交通事故…。 成田   ついに観に来れなかったか。つくづく運のない人だね。 曽我沼  しかたないねえ。 大沼   どうする郁美ちゃん、一人減っちゃったけど。 川辺   大丈夫大丈夫。一人減ったぐらいなんともないですよ。ね、曽我沼さん。 曽我沼  うん、そうだね。 成田   なにが? 曽我沼  さあ、わかんないけど。 成田   なにそれ。 川辺   じゃ、みんな行きましょうか。 成田   どこ行くの? 川辺   美津恵さんには内緒。 成田   ええ? 曽我沼  じゃね。 成田   あれ、曽我沼まで行っちゃうの? 曽我沼  すぐ戻るよ。 成田   なんなの? 曽我沼  まあいいから、ちょっとここで待っててよ。 淳ちゃん ほんとにすぐ戻りますから。      成田を残していなくなる人々。ぽつんと残る成田。      忙しく入ってくる霞。   霞    あれ?みなさんは? 成田   知らない。なんかみんなしてどっか行っちゃいました。 霞    そうですか。どうしようかな、これからダメだししようと思ってたんです けど…。 成田   すぐ戻るって言ってましたよ。 霞    はあ。…それじゃ、待ちます。      パンフを見る成田。手持ち無沙汰でうろうろする霞。 成田   …霞さん。 霞    はい。 成田   せっかくだから、先にあたしのダメ下さいよ。 霞    ああ、そうですね。 成田   っつっても、セリフ一言だけど。 霞    やっぱり、最後のセリフ、戻しましょうか。 成田   デパート訴えたらってやつ?いいよ、だってあたしの役、ただのOLだもん。 霞    そうですけど…。 成田   そんなこといいから、ダメ下さいよ。 霞    そうですか。それじゃえーと…、セリフの語尾を直してから、どうですか? 成田   どうですかって、わたしがききたいんですけど。 霞    ああ、そうですよね。あの、いいと思います。 成田   はあ。 霞    特にダメはありません。 成田   終わりですか。 霞    …終わりです。      間の持たない気まずい二人。 成田   あ、鵜飼さん、呼んできますよ。 霞    え? 成田   鵜飼さん。控え室にいるから、用事があったらいつでも呼べって。 霞    はあ。 成田   呼んで来るわ。 霞    …お願いします。 成田   はい、行ってきます。 霞    あの、成田さん。 成田   はい? 霞    ほんとにこれで良かったんでしょうか。 成田   ……。 霞    わたし、あれからずっと考えてるんです。あのとき、鵜飼さんの要求をあ る程度みたして、成田さんも客Bを続ける方法はなかったのかって。 成田   そんなこと考えたってしょうがないよ。大体今日、もう本番なんだからさ。 霞    そうですけど。 成田   いいんだよこれで。 霞    ほんとに、少しは面白くなったんでしょうか。 成田   …と思うけど。 霞    脚本じゃなく、成田さんと、わたしがです。 成田   霞さん、自分でわかんないの? 霞    わかりません…。だから、成田さんがどうか知りたくて。 成田   …あたしもわかんないや。 霞    ……。 成田   終わってみればわかるんじゃないかな。…今は何だかよくわかんなくても、 終わって普通の生活に戻れば、いやでも。 霞    そう、ですね。 成田   そのとき、ひょっとしてもう一回ぐらいやってもいいなって思ったら、少 しは面白かったってことになるんじゃない? 霞    それじゃ、もしそうなったら、次のアンケートには「お芝居」って書いて くれますか? 成田   アンケート? 霞    ボディビルって書いた…。 成田   ああ。うん、そうだね。そうするよ。 霞    約束ですよ。 成田   やめてよ。あー、なんかこういうの苦手。じゃね。      成田去る。      ちょっとして鵜飼、入ってくる。 鵜飼   あら、みなさんは? 霞    すぐ戻るそうですけど。今、成田さんとすれ違いませんでした? 鵜飼   いいえ。 霞    行き違いになっちゃったんですね。 鵜飼   わたしを呼びに行ったの?あら、悪いことしちゃったわ。ずっとお散歩し てたのよ。 霞    それじゃ、ただ待ってるのもなんですから、さっきのゲネプロのダメ出し してもよろしいですか。 鵜飼   そう?じゃ、お願いしようかしら。一人で控え室にいると退屈で…。      曽我沼、川辺、淳ちゃん、和久井、大沼、津田島わいわい言いながら戻っ て来る。 曽我沼  おもしろかったあ。 川辺   これで後は美津恵さんを説得するだけですね。 大沼   ほんとにこんなことしちゃっていいの? 淳ちゃん あの、鵜飼さんがいらっしゃいます。      凍り付く6人。 鵜飼   どうなさったの?みなさんおそろいで。 川辺   い、いえ、特に何も。ちょっとお散歩を…      曽我沼の携帯が鳴り出す。 曽我沼  はい。あっ美津恵、ごめん、待ってて、すぐ行くから。 川辺   美津恵さん? 曽我沼  うん。 霞    あ、あの、みなさんおそろいになりましたので、そろそろダメ出しを… 曽我沼  すみません霞さん、ちょっと行ってきます。 川辺   わたしもっ。 淳ちゃん わ、わたしも。      曽我沼、川辺、淳ちゃん走り去る。 大沼   あ、どうも。 津田島  お久しぶりです。 霞    こんにちは。立ちっぱなしもなんですから、どうぞ、お好きなところに。 大沼   それじゃ、お言葉に甘えて。 霞    え、えーと、それじゃ、鵜飼さんのダメ出しから…。まず第一場なんです けど…。      一方、下の控え室前の廊下。 成田   どういうこと? 曽我沼  ごめん。 成田   いきなり閉じ込めるなんて。 曽我沼  だからごめん。 成田   何であのドア内側からカギ開かないの? 曽我沼  マスターキーで閉めたからね。 成田   何でそんなもん持ってんの。 淳ちゃん ホールの人に訳を話したら見ないフリしてかしてくれたんです。 成田   訳ってどんな訳。 川辺   …あたしたち、間違えちゃったんですよ。 成田   まちがえた? 曽我沼  ほんとは鵜飼さんを、閉じ込めちゃうはずだったの。 成田   みんなで? 川辺   みんなで。 成田   なんだそりゃ。 川辺   鵜飼さんを閉じ込めて、美津恵さんに客Bに戻ってほしかったんですよ。 成田   何バカなこと言っての。できるわけないじゃんそんなこと。 川辺   できますよ。一応美津恵さんで最後まで稽古してるじゃないですか。 成田   そういう問題じゃなくて。 川辺   じゃ、どういう問題ですか? 成田   鵜飼さんでここまで来ちゃったんだから、鵜飼さんでやるしかないでしょう。 川辺   美津恵さん、出たくないんですか? 成田   川辺、何いってんの。 川辺   答えて下さい。 成田   …わかんないよ。      一方、舞台。 霞    …まあ、こんなとこですね。なにか、他に自分で気になるところ、あります? 鵜飼   そうねえ、わたしの一人台詞のところ、マイク使わせていただけないかしら。 霞    は? 鵜飼   お稽古の時は気付かなかったけど、ホールに入ってみたら、意外に声が響 かないのよ。せめて歌うときだけでもマイクが欲しいわ。 霞    いや…、どうでしょう。ちょっと音響と相談してみないことには…      一方、下の控え室前の廊下。 曽我沼  これは、ダブルキャストなの。 成田   ダブルキャスト? 川辺   今日の公演は美津恵さん。明日の公演は鵜飼さん。 曽我沼  もう準備は出来てるよ。わくちゃんが、パンフなんかもうまくやってくれ たし。 成田   でもさっきのパンフは? 曽我沼  カモフラージュ。鵜飼さんの写真はシールで、剥がせるようになってんの。 それに今日招待したお客さんの案内状には美津恵の名前を入れといた。 成田   ちょっとまって。 曽我沼  鵜飼さんの面子は気にしなくても大丈夫。鵜飼さんの御主人は、明日の公 演を観に来るから。 成田   別にそんなこときいてないよ。 曽我沼  じゃ、他にききたいことは?何きたいたら安心する? 成田   あ、安心? 淳ちゃん 何でも言って下さい。 成田   何がなんでもあたしを担ぎ出す気なんだ。 川辺   だって後は美津恵さんが、うんて言うだけなんですよ。 曽我沼  ここまで準備するの大変だったんだから。 川辺   何を迷う必要があるんですか。 成田   …こんなの鵜飼さんが納得する訳ないじゃん。 川辺   そんな美津恵さんらしくない。 曽我沼  気にするガラでもないくせに。 成田   気にするよ。後でどんなことになるか、わかったもんじゃないでしょ。 曽我沼  平気平気。大したことにはならないよ。 川辺   せいぜい寄付を打ち切られるぐらいですよね。 淳ちゃん どうせなら思いっきりやっちゃいましょうよ。 成田   淳ちゃんまで。(呆れてる) 曽我沼  ね、美津恵の楽しいようにやればいいじゃない。 成田   …あ、あはははは。そっか。 川辺   そうですよ。 成田   確かにそうだわ。 曽我沼  でしょ? 川辺   気楽にいきましょうよ。 成田   あ…待って。霞さんは?霞さんは知ってるの? 川辺   霞さんは…。      一方、舞台。話の途中で淳ちゃんだけ戻ってきて、カギを大沼にわたす。 霞    えー…、とりあえず、マイクは保留にしまして、他はあります? 鵜飼   いいえ。とくにありませんわ。 霞    それじゃ、鵜飼さんのダメ出しは以上です。 鵜飼   ごくろうさまでした。 霞    あ、どうも。 鵜飼   …遅いわねえ、他の方々。どうしたのかしら。 霞    さあ。 淳ちゃん あの、(霞に何か耳打ちする) 霞    …鵜飼さん、先に謝っておきます。ごめんなさい。(他の3人も一緒に謝る) 鵜飼   え?なんのこと?      川辺、成田、曽我沼、戻って来る。 霞    大沼さん、津田島さん、お願いします。 大沼・津田島 わかりました。 鵜飼   な、なによ、あなたたち。        大沼、津田島、鵜飼を両脇から抱える。 鵜飼   ちょっと!どういうつもり?なんなの?一体わたしをどうするのー?      鵜飼を連れ去る大沼、津田島。見送る5人。 曽我沼  今度こそ、やった? 淳ちゃん やりましたね。 川辺   お芝居ってほんとに面白いですね。 霞    ちょっと違うと思いますけど…。成田さん。 成田   知ってたんだ。 霞    …はい。 成田   役者だね。 霞    はい。 成田   ほんとにいいの?こんなことしちゃて。 霞    こっちの方が、面白くなると思いません? 成田   まあ、たしかにね。 霞    それで、結局どうするんですか?成田さん。 成田   霞さん、…後でダメ出し、もらえます?      暗転。 7場   本番の舞台上。      エレベーターホール。      デパートの雑踏の音響が入り、4人がゆっくりエレベーターの前に集まる。      やがてエレベーターが到着し、ドアが開く音。「上に参ります」      エレベーターに乗り込み正面を向く4人。成田、霞、川辺、曽我沼の顔がはっきりする。      途端にエレベーターの活動停止の音。 霞    どうしたのかしら。 曽我沼  このエレベーター、止まってるわ。 川辺   故障ですか?      暗転 成田   きゃあ、誰よ、電気消したの! 終わり